年末には一年の日記を繰り返し見よ
-
-
-
- -
-
-
第一は過去一年中の日記を繰り返して見ることである。これには三日ぐらいかかる。正月より十二月まで順次に、毎月中の主なる出来事は何であったか、それを書き抜いて、一種の摘要を作り、一年のうちでもっとも悲しかったこと、最も嬉しかったこと、永く記憶して益になるようなことを選び出す、すなわち既往を顧みるのである。これは下手になると、不愉快なことを拾い出すことになるかもしれぬ。例えば誰と喧嘩したとか、いうようなことを拾い出すことがある。せっかく忘れんとしていたことがこれによって再発し、あるいは不穏の考えを起こし、あるいは人を怨むことになるかもしれぬ。下手に拾い出すと、こんなことが選び出される、ゆえに将来記憶していて、役に立つような事項を摘出するように注意せねばならぬ。
また自分で感謝すべき箇条を指摘することも必要である。例えば友人某が死んだとか、または誰かがこういう不幸に逢うたとか、病気にかかったとか、いうことがあれば、自分は某ほどの善事を世に行わずして、なお無事に生存しておるとか、病気にかかっても大事には至らなかったと思えば、自分は実に幸いであったことが分かり、感謝の念を捧げることができる。日記の事項を拾い出すについては、かく感謝しまたは勇気の念を強むるものを主とせねばならぬ。
(・・・)
また顧みて、一年中に辛いと思ったことがあっても、これは勇気を養う資料に供することができる。過去に辛いと思ったことを記憶しておれば、たとえ艱難に逢うても「なにこれしきのこと、自分は前にもっと辛い目に逢うても、それを切り抜けて来たではないか」と思えば、くじけんとした勇気も奮起される。眼前に十貫目の荷物があったら、自分は前に十二貫の荷物を負うたことがあると思えば、これを負うに少しも苦を感ぜぬであろう。一度の経験は自信を与う。ゆえにまた例えば眼前に二十貫の重いものがあり、自分はまだこれを荷うたことがないとしても、自分はすでに一度十貫のものを荷うたことがあるとすれば、これはその倍に過ぎぬ、少し力を入れれば荷えるという勇気が加わって来る。
要するに心のもち方一つで、憂いを転じて楽しみとし、禍いを変じて福とするは、必ずしも英雄聖人を待たなくともできる。天は決して我々に無意味の禍いを与えぬ。決して我が力に耐えぬものを与えぬ。ちょうど手頃のものを与うると信ずれば心安い。
(新渡戸稲造『修養』「第十七章 迎年の準備」500-502頁、タチバナ教養文庫)
-
-
-
- -
-
-
このブログとは別に、ノートに日記を記しているんですが、
まぁ、この1年は色々ありましたヨ。
1月初っ端から怒涛の4ヶ月が過ぎ、
その後、教育実習、教員採用試験。
がむしゃらに走ってきた2011年でした。
2012年も、あっという間に過ぎていくと思います。
このブログには書けないことも、ノートには記してあり、1年を振り返ってみると、
自分も頑張ってきたんだなと思うと同時に、来年はさらに厳しく怒涛の1年が待っているんだろうと感じます。
感謝することも多くありましたね。
この恩をしっかり返していけるように、来年からも頑張って参りたいと思います!
これが一番、重要なんじゃないでしょうか。
「一度の経験は自信を与う」
今年、さまざまなことを乗り越えてきたという歴史は厳として残っています。
今年もあとわずかですが、最後の最後まで今年の総仕上げをしていこうと思います。
油断禁物。
色んな意味で、事故には気をつけよう!
明日は、学童の大掃除。
家の大掃除もしなきゃ;
年賀状は出してきました!
一人一人の“顔”を思い浮かべながら・・・
数学では、抽象化は大事なポイントですが、
あくまで人間は抽象化しないように気をつけたいと思います。
顔のないところに抽象化の危険が潜んでおります。
こうしたネットもその危険性を孕んでいるだなァ・・・。
気を付けヨ。
明日も早いので、この辺で。
ps,
外から、「カン、カン」と音が聞こえてきます。
火の用心。
寒い中、お疲れ様です。
- 作者: 新渡戸稲造
- 出版社/メーカー: たちばな出版
- 発売日: 2002/07
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (9件) を見る