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今死んでも悔いはないといえる使命を果たし行く日々を送りたい

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 日頃、『俺は死なんて恐れないぞ』とうそぶいている人でも、いざ病気になってちょっと痛みや辛さを感じると、健康で生きていることのありがたみがわかるものです。『恐れないぞ』とことさら言うのは実は『恐れいている』ことの裏返しです。
 人はなぜ死をおそれるのでしょうか?まず一つには、死ぬ時に強い痛みが起こるのではないか、という恐れが根底にあるのだと思います。
 一般的には、血液の流れが滞ると乳酸という物質がたまります。この乳酸がたまるとかなり強い痛みを引き起こします。
「断末魔の苦しみ」という言葉がありますが、「死」が近づくと、おそらく血液の流れが滞り、乳酸などの痛みを起こす物質がたくさんたまって、形容しがたい痛みに襲われるのではないかと考えられます。これは、心筋梗塞の患者さんが激烈な胸痛を訴えることからも推測することができます。死の場合は、心臓だけではなく、全身で血の流れが滞るわけですから激しい痛みが予想されます。
 しかし、死を迎える時の苦痛を予想できても、実際に死ぬ時にどういう感覚をもつかは科学ではなかなか判断できません。
 そこで「臨死体験」を考えてみたいと思います。「臨死体験」とは、いったんは死と診断された後に回復した人が記憶している、臨死状態のときに体験した内容を言いますが、近年、医学の世界でも臨死体験の研究が進んできています。
 多くの臨死体験の証言によると、光り物が見えて宇宙に吸い込まれそうな感覚がしたり、笑顔の人々が周りにいたり、美しい川が流れる風景があったという体験などが報告されています。いずれにしても、死とは怖いところではなく、穏やかで楽しい印象を強くもったという証言が多いのです。
 臨死体験は、科学的には脳内物質が引き起こした現象であるとか、さまざまな説が言われていますが、いまだはっきりとは分かっていません。また、臨死体験はあくまでも、死から生還できた例であって、生き返らなかった人の報告を受けることは不可能なので、死そのものの報告でないことは確かです。
 しかしながら、こうした体験は、死とは、苦痛や恐れの世界ではなく、死とは恐れるものでない、それどころか希望をもった世界と感じる可能性があることを物語っているといえます。
 次に「死」を恐れてさせているのは、「自分」という体が失われるショックではないかと思われます。このショックを、脳科学で近年注目されている「ボディイメージ」という考え方を通して見てみたいと思います。
 「ボディイメージ」というのは、「ここからここまでが私の体だ」と感じるイメージのことです。赤ん坊が自分の指をなめたり、体を触ったりするセルフタッチという行為は、自分の体のイメージをとらえようとしているのです。さらに私たちが使う道具や機械は自分がコントロールして使うことでボディイメージの延長となります。例えば車を運転していると車と一体感を感じ、車を叩かれると自分の体が叩かれているような感じがしたりします。
 死ぬ時には、自分の体そのものが失われるだけではなく、自分の体から外に広がっていたボディイメージをも消滅してしまうという恐怖心が出てくると考えられます。
 人生とは自分の可能性というボディイメージをセルフタッチしながら確かめていく旅だ、と私は思います。
 別の表現で言えば、ボディイメージは『境涯』とも言えます。ボディイメージを広げ、たとえ自分が死んでも生命は宇宙に冥伏し、縁に触れてまたこの宇宙に現れてくるのだとの感覚をもつことができれば、死に対する考え方が変わるのではないでしょうか。
 人間は、いつか訪れる死を予感しながら生きる唯一の生き物です。死への不安をどのように乗り越えていくかは、人間の生物的な課題であったと思います。そうした中で、人間の脳は、ある巧妙な手段によって、死の不安を乗り越えようとしているのではないかと私は考えます。
 心理学では、『マイクロデス(小さな死)』という言葉があり、人生の途中で感じる挫折や喪失感をいいます。このマイクロデスを経験することで脳内物質の一種であるエンドルフィンの働きが高まる可能性があるとされています。これは、臨死体験の時に、脳内に大量放出される脳内物質と深く関わりあっているとも言われます。
 私たちはマイクロデスを経験しながら、それを乗り越えることで生きる意味を見いだし、人生を力強く生きていくことができます。死とは、人生最大の喪失感を感じる出来事といえますから、このマイクロデスに立ち向かい乗り越えることは、『マクロデス』(本当の死)を迎える予行演習となっているのではないかと考えられるのです。
 人生で次々と出あう失敗や喪失感から逃げるのではなく、立ち向かう人は、揺ぎない人格を築き、歓喜ある人生を送り、そして歓喜ある死を迎えることができるのではないでしょうか。
 一流の臨床医学雑誌でも、そのことが紹介されています。
 臨死体験では「死ぬのが怖くなくなった」と感じることが多いわけですから、苦しい生を見限って死に心が向かってもおかしくないのですが、実際の報告ではこれとはまったく逆の結果が出ているのです。
 臨死体験をしたほとんどの人々が、「臨死体験をしてから生きるということをとても大切にするようになった」「よりよく生きようと思うようになった」と言うのです。
 死を実感した者にとっては、生きている時にしかできないことがあることを自覚できるようになったのではないでしょうか。それは、何か地位や財産を得て、楽な暮らしをしたいということではなく、生きている間に自らの使命を全うし、この世で生きた証を残したいとの思いが出てくるのではないでしょうか。
 私も今死んでも悔いはないといえる使命を果たし行く日々を送りたいと思います。


(白石哲也『頭の知恵袋』「第10章 できれば楽しく死にたい」152-156頁、㈱ソニーコンピュータサイエンス研究所

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大変興味深い内容でしたので。


ps.
書きたいことは色々ありますが、それは追々w
今日は温かいお風呂に入って、寝ますw
では。また。