迷いや間違いの否定は、思考の停止、人間性の抹殺にほかならない
-
-
-
- -
-
-
これに対して、私たち人間の試行錯誤によって行動を学習してゆく場合には、曲がり角やゆきづまりで、どちらの道を選ぶかということになんらかの思考作用を働かせており、ここに動物との本質的な違いがある。
前頭連合野がまだ発達していない一、二歳の赤ん坊は、決して間違ったとか、失敗したということは感じないから、もう一度やり直してみようとはしない。四、五歳になると、成功したか失敗したかと反省し、失敗の経験を次の行動を成功させるために生かすことができるのである。
杉村春子さんが名演技をみせた森本薫作『女の一生』のなかの
人間という奴は、何かやると必ず間違いをしないではいられないらしいな。まるで間違いをするために何かするみたいだ。
という科白は、劇中のすべての人物を性格づけているといわれているが、実は、私たち人間の本質をズバリついているといえよう。ゲーテ(W.Goethe)の『ファウスト』のはじめの「天上の序曲」に、「人間は、努力する限り、迷うものだ」という文句がある。
電子計算機は、人間のように間違わないとよくいわれるが、とんでもないこと。機会におこるのは故障であって、まさか、自動車が間違って事故をおこしたとはいわない。このようにみてくると、私たち人間が、思考という精神を働かす限り、迷いの連続、間違いの反復であって、迷いや間違いの否定は、思考の停止、人間性の抹殺にほかならない。迷い、間違うところに、教育や研修や訓練の可能性があるといえる。
( 時実利彦 『人間であること』「18 考えること・書くこと」115-116頁、1970年、岩波新書)
-
-
-
- -
-
-
子ども達が安心して学校生活が送れるように、また授業に参加できるようにするためには、どんな考え方や意見も受け入れ、みんなと共有していくことが大事かと。
間違いは恥ずかしいものだという価値観が子ども達に定着してしまえば、自信のない子などは発表できずに、授業に参加できなくなってくまいます。
授業は、みんなの時間、みんなの場所で、みんなが一緒に勉強していくところ。
一人の間違いから、学習がスタートすることも多々あるわけで。
どうして間違えたのか、どのような考え方をしたのか、なぜそのような考え方になったのか、なにが間違っているのか、等々。
みんなで考え方を共有し、それを基に学び合う学びが生まれるのではないかと。
まぁ、そこまでのレベルには達していないんですけどね;
一人ひとりの意見をみんなが受け入れる温かい雰囲気のクラスを作っていきたいですね。
さて、GW後半戦。
予定が空いている日もあるので、どなたか空いているのでいらっしゃれば、美味しいものでもつまみながら語りましょうw
貴重な、貴重な4連休。
この4連休が過ぎれば、夏休みまで怒涛の日々が待っている!
採用試験の申し込みももうすぐ!
「人間は、努力する限り、迷うものだ」とゲーテも言っています。
自信もっていこう!!
ps,
本日の遠足は、雨天により延期。
おかげで、6限授業。
来週は晴れることを祈る。

- 作者: 時実利彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1970/03/20
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (19件) を見る