人民に吉であることは、自分にも吉である
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北魏の酈道元(?−五二七年)の『水経注』(巻二十五)によると、邾の都の北に嶧山の岩山が高くそびえていて、岩の洞穴がつづいていて、戦乱のさいにはここにのがれて戦禍をさけるといっている。その要害の有様は、現在の紀王城と一致しているので、ここが邾の国都の遺迹であったと認めてもよさそうである。
ここが邾国の遠い祖先の文公が遷ってきた都であるが(前六一四年)、その前に文公が亀の甲の卜いをさせると、卜師は「人民には吉ですが、君主には不吉だ」と報告した。文公は「人民に吉であることは、とりもなおさず君主自身の吉である。天が民を地上に生みだし、そのために君主を立てたのだ、民に幸福であれば、自分は必ずこれにあやかれる」といった。臣下は「長命になれるときまっているのなら、わが君はこれに従って遷都を見合せられないのですか」とすすめるのに、これをことわって遷都に踏みきったところ、間もなく文公は病死することになった。
この文公の英断のおかげで、百二十六年後に魯軍が邾のこの都城を囲んだとき、嶧山にこもって難をさけることができたのである。この一場の物語にはおそらく邾国に口頭で伝承され、邾国の英雄伝説が魯国の年代紀をもととして『左伝』に載せられたものであろう。
(貝塚茂樹 『孟子』「Ⅱ-2 孟子の生涯」42-43頁、講談社学術文庫、2004年)
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