わたしの前にある長い褐色の路は、わたしの選ぶどこへでも導いていく
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大道の歌
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徒歩で、心も軽く、わたしは大道に魅きつけられる、
健康で、自由、世界はわたしの前にある、
わたしの前にある長い褐色の路は、わたしの選ぶどこへでも導いていく。
これからは、わたしは幸運を求めない、わたしじしんが幸運なのだ、
これからは、わたしは泣言をいわない、ぐずぐずしない、何ひとつ要るものはない、
屋内の不平、書斎、ぶつくさ言う批判には片をつけて、
力強く、満足して、わたしは大道を旅する。
大地、それだけで十分だ、
わたしは、星座たちがもっと近くにあればと願わない、
わたしは知っている、それらが今あるところで申しぶんないのを、
わたしは知っている、それらに属するものたちにとって星座たちが充分なものなのを。
(木島始 編 『ホイットマン詩集 アメリカ詩人選(2)』63-65頁、岩波文庫)
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キーティング先生曰く、
「人が詩を読むのは、それはその人が人類の一員だからであり、人類というのは情熱をみなぎらせた生き物だからだ! 医学や法律や銀行業は、これは生活を維持するのには欠かせないものだ。それでは詩やロマンス、愛や美はいったいなんのためにある? 詩は、われわれ人間の生きる糧だ!」
「詩は、われわれ人間の生きる糧だ」
世界桂冠詩人でもある恩師は、いくつもの詩を届けてくれて、激励してくれる。
そこには、生きる挑戦、勝利への執念、後世への期待、幸福への大道が示されている。
尊敬するアーティストがいる。彼らとは直接話したことはありませんが、音楽を通して、ボクを励ましてくれる。背中を押してくれる存在です。
彼らの楽曲・詩のなかに、彼らの想いが込められていて、それがCDを手に入れることでボクのもとに届く。
音楽だけでなく、新聞も書籍も映像でも。いろんなものを媒体にして、恩師やアーティストたちは、日本中、世界中の人たちにメッセージを発信している。
それを受けて、ボクには何ができる。
犬でも恩を返す。
恩を忘れた人間は、畜生だ。

- 作者: N.H.クラインバウム,N・H・クラインバウム,白石朗
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/02
- メディア: 文庫
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