苦悩を突き抜け歓喜に至れ!
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ここは男と女だけではない
偏見・差別 先入観もない
母と子笑いさざめいてる世界
年もとらなきゃ病でも負けない
別に天国じゃない 夢でもない
ただし悩むことからは避けられない
たとえ苦しんでも楽しませたい
なら苦悩を突き抜け歓喜に至れ!
(Def Tech『Howzit!?』「Freeing Ur Pain」)
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Def Techの2年ぶりのアルバム、やっと手に入れました。
最強のジャワイアン!!
今回もええ感じになっておりますよ。
この夏は、Def Techで決まりです!
ps,
「悩みをつき抜けて歓喜に至れ!」とは、ベートーヴェンの金言ですが、これがMicroも歌っているとは、やはりというか、さすがです。
悩みがなければ悟りもない。
悩みや困難がない人生が幸せではないことはたしかです。生きていくうえでは、必ず困難な壁にぶつかるわけですから、それに勝つか負けるかの違いだけです。
人生は勝負。
いまの世の中は一滴一滴の水が力をもち、自分の意思で世の中を変えていく
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「水は人民だ。川の流れも、湖も、あるいは海でさえも、バラバラにしてしまえばたどり着くところ一滴の水になる。しかし一滴一滴の水には力がない。集まって湖となり、川となってひとつの形をなしたときに、力を得る。しかし、水自体にみずからの形はない。方すなわち四角いものに入れられれば四角く姿を変え、円すなわち丸い物に入れられれば丸く姿を変える。したがって、容器の形態に水は自分を合わせる。これが水は方円の器に従うということばの意味だろう。おれもそう思ってきた。ところがきょう会議を開いていて、そのことばもいまは変わったなということを感じた」
「よくわかりません」
「つまり、いまの世の中は一滴一滴の水が力をもち、自分の意思で世の中を変えていくということだ。范増がきょう話したことは、たしかにいままでの考え方からすれば、王家の血統を重んじ、いわゆる貴種尊重という形でわれわれの指導者を選び出そうということだろう。しかし、それを求めているのも一滴一滴の水、すなわち人民の意思なのだということをおれはつくづくと感じたよ。きょうの会議で、范増は陳王と呼ばずに陳勝と呼び捨てにして、范増自身は、決して陳勝を敬愛していないことを示した。したがって、かれは陳勝を決して王とは呼ばない。王と呼ばないのではなく、呼びたくないのだ。これはむかしながらの貴種尊重の伝統を、范増がそのまま保っているということだ。ところが、一方には陳勝を陳王として、敬愛の念を強くもっていた者がたくさんいる。したがって、いまのこの国では、方円の器に従う水の群れと、逆に方円の器を従わせる水の群れとが共生しているということを物語る。おれがつくづくと感じたのは、自分の意思をもちはじめた一滴一滴の水の存在だ。これは恐ろしい。おれたちもよく考えなければならぬ」
(童門冬二 『項羽と劉邦 知と情の組織術』「第三章 項羽をめぐる群雄」109-110頁、講談社文庫)
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司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』は最高に面白かったですが、童門冬二さんも読みやすくて面白い。
学ぶこと多し。
小説としても面白く読めます。
ps,
担任になり、読書量がめっきり減ってしまいましたが、学ぶことを止めるわけにはいきません。
- 作者: 童門冬二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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退屈なのは、世界の責任じゃない。
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退屈なのは、世界の責任じゃない。
怠惰な僕たちの創り出している世界が、退屈なだけなのだ。
だから、
目を見張れ。
耳をすませ。
感覚を研ぎ澄ませろ。
そして、準備を怠るな。
驚異的なダッシュを見せつけるために、身軽になれ。
誰かが勝手に決めた偏差値。
あいつらに植え付けられた劣等感。
ありきたりな常識。
過去のちっぽけな栄光。
ありふれた未来を約束する保険。
すべてを捨て去れ。
リセットボタンを押し続けろ。
何度でも、ゼロに、戻れ。
米倉の口が、開いた。
言葉が、前進に突き刺さる。
いま、引き金が引かれる。
僕たちの革命が始まる。
「君たち、世界を変えてみたくはないか?」
(金城一紀 『レヴォリューションNo.0』155-157頁、角川書店)
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GWいかがお過ごしでしょうか。
GW中も職場へ出ることがありましたが、家族で出かけたり、友人とご飯に行ったりすることもできました。
明日からまた子どもたちとの学びの日々が始まるわけですが、5月も退屈に過ごすことなく、走り回る日々になりそうです。
頭で納得できても心が納得しなかったら、とりあえず闘ってみろよ
4月から3年生の担任をもたせていただくことになりました。
昨年度の忙しさは何だったのか。
4月から夜も遅く、朝も早くなって、やることもたくさん。
土日は、平日にできないことを進める。
毎日が充実しすぎている。
元気いっぱいの子どもたちと共に汗をかき、恥もかき、レポートも書いていきます。
自分自身と闘いながら。
ps,
多忙極まりない中、読書も少しずつですが進んでおります。
最近、金城一紀さんにハマっております。
『対話篇』
『レボリューションNo.3』
そして
『SPEED』
を読みました。
ということで、本日『レボリューションNo.0』を購入。
ちょびちょびと愉しみながら読んでいこう。
国籍とか民族を根拠に差別する奴は、無知で弱くて可哀想な奴なんだ。
僕の教えたことが、それが誰かから教わったことだと気付かないくらいに、生徒たちの中に浸透していればいい
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教師と生徒が実際に接するのは、ほんの数年、それも一日のうちのほんの数時間かもしれません。だけど、この世に泳げない人がいるということに思いが及ばないくらい、当たり前のように今僕の身に付いていることは、かつて、先生に教えていただいたことです。しかも、先生は事故が起こった翌年であるにもかかわらず、「万が一のときのために」とかそんな押しつけがましく、子どもを不安にさせるようなことを一言もおっしゃらずに、水泳は楽しいものだとして教えてくださいました。
僕も含め、見返りを求めている教師はたくさんいると思います。「先生のおかげで、××大学に合格しました」なんて言われると、みんなに自慢したいほどです。逆に、部活動の生徒が賞をとった際に、まるで自分たちだけでとったような言い方をしていると、誰がフォローしてやったんだ、とムッとしてしまったこともあります。
僕は本当に小さい人間です。
わざわざ、「先生のおかげで」なんて感謝されなくてもいい。僕の教えたことが、それが誰かから教わったことだと気付かないくらいに、生徒たちの中に浸透していればいいなあと思います。
(湊かなえ『往復書簡』「二十年後の宿題」152-153頁、幻冬舎文庫)
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3月19日、卒業式が無事に行われました。
6年生は、理科の授業を担当させてもらっていました。1年間という短い時間でしたが、立派に育った姿、まだまだ幼さが残る姿、卒業式での6年生の姿を見て、こみあげるものがありました。
1年間の成長は大きいですね。
在校生も、次の学年に上がる準備ができているようです。
来年度、現在の学校に残るのか、異動になるのか、まだはっきりと決まったわけではありませんが、どこであろうと自分の使命を果たすまでです。
見返りを求める教師でなく、共に喜び合える教師でありたい。
「利他100%」は難しい。というか、凡人には不可能であると思います。
「自分も他者も共に喜ぶ」を本当の「喜」というのでしょう。
君たち、世界を変えてみたくはないか?