生命の畏敬のないところに教育は存在しない

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 生命受難は政治の上から降りかかろうと、経済の上から降りかかろうと、その根は同じものではないかと思われて仕方ありません。かつて林竹二先生は教育の成り立ちにふれて、生命の畏敬のないところに教育は存在しないと言われました。
 このことは教育に携わる人間に向けて発せられた言葉のようにきこえますが、実はすべての人間の思考と行動に向けて発せられた深遠な警告であり、人間が人間にありうるところの普遍的な哲学です。
 政治権力を握る人、企業の上に君臨する人の生命哲学は、それをもって身を切るほどの峻烈な自己吟味が要求されるはずでありましょうに。
 中国のようなことが起こらなくてよかったと多くの日本人はいいますが、自然破壊と公害によるわが国の生命抹殺は、まことにひどい修羅場を作っていることに人々は思いをいたすべきでしょう。
 戦車で人間を踏みつぶす行為は誰もが避難しますが、緩慢な虐殺に人々は目をつぶりがちです。
 たとえば教育公害という言葉でもっていえば、そのために心身を傷つけられ、生命さえ奪われる幼い、あるいは若い人々のなんと多いことでしょうか。
 苦悶の日々は、わたしたちの上にもあるのです。
 
水上勉灰谷健次郎『いのちの小さな声を聴け』「未来はいつも(灰谷健次郎)」165-166頁、新潮文庫
 
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いのちの小さな声を聴け (新潮文庫)

いのちの小さな声を聴け (新潮文庫)