2012-01-01から1年間の記事一覧

「わかりやすさ」は他人への愛

- 楽屋裏をご披露するようで恐縮だが、私が物を書くうえで「文章の師」として尊敬している人が二人いる。一人は、上杉鷹山の師・細井平洲であり、もう一人は福沢諭吉だ。細井平洲は、 「難しいことをやさしく説くのが本当の学者だ」 と言って、青空劇場とい…

わが心事のわかってくれるのは貴君のみ……

- 「―――今後才略功業の人物は現れるかもしれないが、まことに嘆かわしい事ながら忠義の種はもはや絶滅した。獄中にひとり坐って諸友を顧みるに、わが心事のわかってくれるのは貴君のみ……」 一字一句を吟味しながら、そうした意味のことを書いた。どうして反…

二度目の挑戦と結果

- 元来、人は他人が己のためにしてくれたことを安く値打ちし、人のためにしたことは過大に計算したがるものである。余の知人に、かつて一時逆境に陥ったが、今はその位地も高くなり、数年来旭日昇天の勢いをもって、繁栄の位地に上った人がある。位地が上っ…

「生命の尊重」の決意によってのみ、将来の人類の繁栄が期待できるのではないか

- とかく空虚な響きとして耳をかすめがちな「生命の尊重」という言葉ーーーその意味をここまで掘り下げ、心の奥深く定着させ、それによって、日々の行動を規制してゆきたいものである。複雑に絡みあう集団と個の対立、個と個の対決によって、ますます非合理…

倦怠というシロモノ

- 戦争への入り口になる日常とはどんなものか。知らずしてそこを通過すると戦禍のただ中にいるような。考えるだけでも怖ろしいし、第一そんなものあるわけないだろう、あれば当然そんなところに踏み込まないよ、ですか? 普通の世間で見渡した時、そのまま進…

純粋な理性というのは、肉体のかけらも含まない

- 合理的選択モデルは、その枠組みが使える場面では有効性を発揮するかもしれない。ヘッジファンドの手口などでは、うまくいくケースもありそうだ。しかし、そういう場面はきわめて限られている。使われる舞台が、人間の感情をほぼ完全に除去した数値計算の…

“感謝すること”こそ勝利と一流への道

今週のお題「好きなスポーツ」 - 花道の特訓に何日もつきあってくれた仲間たち。彼らに感謝することの必要性を花道は赤木春子に教わります(第22巻176ページ)。チーム内でこの気持ちが出来上がっていないのであれば、とても勝つことなどできないでしょう…

「あれは何ですか?」「からかいです」

- さらに話を進めると、「あってはならないこと」がありまして頭を下げると、頭のてっぺんがぴかっと光るという絵を何回も見せられた。学校の校長でも見た、病院長でも見た。私は県立病院長だったから、嫌な感じと思っていた。いろいろな所で「あってはなら…

かくて天命(真理)にかなわば成功するであろうし、かなわなければ敗れるであろう

- 「―――自分の文章など、梁川星巌のところにあるくらいなもので心配の要はない。そのようなことよりももっと大切なことがある。それをよく心得ていて欲しい。元来天下のことは、区々たる小細工によって成功したり敗れたりするものではない。秘密にことを運ぼ…

なにひとつ手には持たないが、期待に心はずませて 旅路にのぼる

- 彼方へ 何をたずさえて行くのかと、たずねてくださるな。わたしは なにひとつ手には持たないが、期待に心はずませて 旅路にのぼる。 (R・タゴール『ギタンジャリ』「九四」139頁、森本達雄 訳注、第三文明社、レグルス文庫209) - 試験前日。ちょうど1年…

祈りは「未来をよい方向に変えようとする営み」

- 脳の中で記憶を司る部位である海馬は、これまでにあったことを記憶するだけでなく、「未来にやるべきこと」「将来行う行動」についての「展望的記憶」(Prospective Memory)もコントロールしています。 たとえば、「来週の水曜日に午後二時から○○さんと会…

努力を惜しんで何ができよう

- 「―――進んで将相たらずんば、退いて千古の聖賢を友として書を読もう、これが平素から自分の志望であった」 と述べ、さらに、 「―――日本に生まれて日本はいかなる国であるかを知らねばならぬ。真に日本国を知らずして漫然と生きていてどうするものか」 自分…

金儲けのために甘い言葉で“子育てビデオ”や“早期教育ビデオ”を売り込む企業の商業戦略に無批判に乗せられる若い親たち

- 乳幼児期のメディア接触の「早期化」「長時間化」も急速に進んでいます。生まれたときに茶の間にテレビがあった“テレビ世代”、子ども期にテレビゲームを経験した“ゲーム世代”が子育てをはじめた1990年代以降、そうした流れは一段と加速されつつありま…

人作り、これがなければこの世にさっぱりおもしろ味もなければ進歩もない。

- 菊作りなどは考えてみればただの暇つぶし。しかし、人作りはそうではない。よい子、よい血筋に、誠の愛情をそそぎかければ、小さくて一郷を救うほどのもの……大きければ、藩も国も、いや、世界も救うほどの大輪の、みごとな花が咲くやも知れぬ……、それゆえ…

降る雨はきっと霽れるし、夜のあとには必ず朝がやってくる

- 「降る雨はきっと霽れるし、夜のあとには必ず朝がやってくる。今、はげしい暴風雨が吹きすさんでいるからと言うて、一生暴風雨が吹き続けると思う者は大たわけ……またその反対に、今日うららかな小春日和だから、生涯それが続くと考え、霜の用意も雪の用意…

「これこそ直ぐなのだ」と錯覚させる怖れ

- 念仏と禅という新しい宗教がこの新興の地で眼ざましく栄えている。日蓮に云わしむれば、この二つとも難解な学問や煩瑣な印契の神秘をはなれて、端的に「力」を問題にしている点で同じものであった。 一方は徹底した他力本願。 一方は徹底した自力本願。 人…

「志」と「目標」は似ているようで違う

- よく混同されるのが、「志」と「目標」です。 ある学校の校長が書いた本の中に、「志(目標)を持とう!」などと書いてあるのを見て、いささか抵抗を感じたことがあります。この先生は、「志」イコール「目標」であると信じ、永年にわたり子供たちに教えて…

なぜなら、それらは、日ごとに繰りかえされる幾千もの事件の精髄であり、これらの事件によって日ごとに例証され解説されるものだからである

- ひとつびとつの普遍的(全称的)心理が特殊的(特称的)心理に対する関係は、金が銀に対するごとくである。というのは、あたかも一枚の金貨を多くの小銭に替えることができることができるように、ひとつの普遍的真理を、それから帰結する相当数の特殊的真…

あるがままのものを認識し、できることを意志し、最後に、起こることを愛すること

- 話の締めくくりとして、ただ次のことだけをもう一度強調しておきたいと思います。すなわち、願望の対極にあるのは恐れではなく、知と力と享受なのです。一言で言うなら、といっても実際には三語になりますが、願望することの対極にあるのは、認識と活動と…

人と人が共に居る体験として絵本を読んでやってほしい

- 松居 ただ問題は、今は子供たちの言葉の体験があまりにも貧しい。耳でちゃんと言葉を受け止めるということ、声の言葉を受け止めていませんでしょ。機械から出てくる言葉、私はそれを音だと思っているんですが、そういう体験はたくさんあるけれど、人間が向…

そんなものは想像の産物でしかない。といっている間は・・・

- 「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」寺尾の目を見据え、自分でも驚くほどの落ち着いた声で直貴は語っていた。目をそらしたのは寺尾のほうだった。 (…

結局、真の知識を手に入れたい人は誰でも、険しい山をひとりで登らなければならない

- 授業で指定される本で、視覚障碍者用に印刷されたものはまずない。だから、本の内容は、指文字で手に綴ってもらわなくてはならない。したがって、私の場合、他の女子学生よりも授業の準備に余計時間がかかる。手に綴ってもらうのに時間がかかるのはもちろ…

よう書いたねぇ

- 小学校4年生くらいのころだったでしょうか。国語の授業で、教科書の文章をそのままノートに丸写しするという宿題が出されました。そこで、友だちとお互いの家を行ったり来たりして、一種の早書き競争のようなことをはじめたのです。そして、「先生、こん…

うつくしい音楽の世界をのこしていく人は、だれも、さようなら、なんていわないんだよ

- 河合 「望みがない時にどうするか」という有名な話。僕は「望みを持ってずっと傍にいる」ことが大事だってさっき言いましたが、「望みがない時はどうするんですか」って聞かれたんです。すると僕の目の前におった人が「のぞみのない時はひかりです」。みた…

時間は待ってくれない。

- 春の風にもいろいろある。ただ春風というと、春の陽光のもとの穏やかな風、そよ風をいう。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)というのは春の景色ののどかな様子を表す熟語だ。 春の風の中でよく知られている語に東風(こち)がある。吹きすさんでいた北風がいつし…

迷いや間違いの否定は、思考の停止、人間性の抹殺にほかならない

- これに対して、私たち人間の試行錯誤によって行動を学習してゆく場合には、曲がり角やゆきづまりで、どちらの道を選ぶかということになんらかの思考作用を働かせており、ここに動物との本質的な違いがある。 前頭連合野がまだ発達していない一、二歳の赤ん…

芸術は一部の特権階級の玩弄物であってはならず、万人にとっての心の交流の場であるべきだ

- 訳者のことば 芸術は一部の特権階級の玩弄物であってはならず、万人にとっての心の交流の場であるべきだという思想に基づいて書かれたトルストイの民話は、老若男女を問わず、あらゆる階層の人々に親しみやすい平易さと簡潔さの中に深い心理が含まれていて…

個々の子どものニーズを把握する習慣

- 通常の学級に在籍するさまざまなニーズのある子どもをどう支援していくのか考えたとき、彼らを医学的に分類し、診断名をつけていくことが究極の目標ではない。なぜなら、繰り返し述べているように、診断名をつけることでその後の支援の方向がきちんと示さ…

それぞれの子どもにとっては自分に話しかけられているという感覚が生まれること

- 何人もの子どもを対象にする場合、是非実行してほしいのは、意識的に一人ひとりの顔を見て話すということです。もっと厳密に言えば、子どもの目を見て話すようにするのです。しかも、このことをこの子どもに語り、ここのところはあの子どもに語りというよ…

その場所で励めばそこが「華」だ

- 自分の生まれた土地がどのような僻地であろうと、それに劣等感を抱く必要はなく、その場所で励めばそこが「華」だというのである。松陰が松下村塾の教育理念としてかかげた華夷の弁とは、松本村という辺境に英才教育の場を興そうとする壮大な意図をうたっ…